あの日、どこかであった物語【シン・ゴジラ感想】

今さらながら、シン・ゴジラの感想を書く。


各所で絶賛されているとおり、垣根なしに面白かった。開始すぐからゴジラが覚醒、それからカルピスの原液を樽で飲みんさい飲みんさいと言われるような濃厚な映像体験が私たちを襲う。伸ばそうと思えば、二時間映画三本立てにだって出来そうな内容が、この2時間は詰め込まれている。

でも、こんな作りになったのは自然なことだ。リアルよりリアルな現実を、あの3月11日に私たちは見た。あの震災に負けない虚構を描こうとするなら、過剰すぎるくらいの過剰が必要だ。それをやりきった庵野監督に、拍手を送りたい。

 

まず、この映画は橋が破壊されるところからはじまる。物語作りにおける手法で言うと、初っ端にショッキングなシーンを持ってくる「平手打ち型」だ。

でも、ここではそんな型紙にはめては語るまい。災害は、いつだって何の前触れもなしに起こる。それだけのことだ。それが痛いほど、私たち日本人にはわかる。

そして、場面は首相官邸に移る。主役の矢口を皮切りに、怒涛のお偉いオッサンラッシュ。怒涛のようにオッサンと名前のテロップがでてくるが、そのあまりの早さに逆に「ああ、これ別に名前とか覚えなくていいんだあ」という安心感すら覚える。


橋の崩落に、「でも死者は出てないんだろ」と面倒臭そうな総理大臣。会議会議会議と進めるうちに、原因がまさかの巨大不明生物と判明。困惑するうちに、その生物はとうとうグロテスクな姿を晒して日本上陸。

しかしオッサン、ここで頑張る。すぐに自衛隊を配備して巨大不明生物を排除にかかる。

ここで私たちは、たぶん日本人にしかわからない奇妙で複雑な喜びを感じる。いつかの阪神地震とはちがって、今回はちゃんと自衛隊を動かしてくれる。私たちのために、身体をはってくれる人がいる。それがどんなにありがたく、心強いことか。

 

もちろん、あの日と同じに自衛隊がすべて解決してくれるわけではない。どころか、この映画ではまったく歯が立たずに撤退する。

 

すると、やっぱりあの国が出てくる。頼んでもいないのに、市民や総理までもが避難をしていない中、東京のど真ん中で地中貫通爆弾なんて物騒なものをぶっこんでくれる。

それも巨大不明生物には効かず、東京の大部分は壊滅。

ついに、連合国軍は日本に三個目の核爆弾を落とすことを決断する。

これに待ったをかけるのが我らが主人公、矢口である。

危険を承知で巨大不明生物に近づき、血液凝固剤を口から注いで凍結してしまおうというのだ。

ピタゴラスイッチなみに多くの段取りと準備が必要な綱渡りに、日本の命運が託される。

そして、被爆し、犠牲を出しながらもその綱渡りに成功する。

この映画は、しっぽからなにかを生もうとしているところで凝固された巨大不明生物のカットで終わっている。

「ちょ待てよ」と言いたくなるラストを持ってくるあたり、やっぱりエヴァの監督だなあ、と思う。

この映画に、愛する恋人を心配する綺麗な彼女はいなかった。
死んだ家族を悼んで、おいおいと泣く人間もいなかった。

たぶん、単純に必要がなかったのだと思う。そんな人間は、あの日、現実に、またはテレビを通して私たちに中に棲みついている。

あの日から日本人が否応なしに紡いできた、共通のコンテクストの強固さがあるからこそ、ばっさりと省略が可能だったのだ。


見終わったあとに、ある番組を思い出した。


少し前に、一時期流行ったマイケル・サンデルNHKで日本の著名人と議論する番組があった。
テーマは徴兵制の是非だった。

今、日本を含め多くの国で軍体は志願制をとっている。しかし、この軍にいる兵士は本当に軍人になることを志願しているのか? 実際国で軍隊に行っている人の多くは、経済的に恵まれない境遇にある。

そもそも、そもそもだ。もし戦争が起こった場合、国および国民みんなの一大事への対応を、彼らだけに押しつけていいのか? 同じ国民である異常、国民皆が身体を張って平等に闘うべきじゃないのか? そんな議論が起こった。

そこで、ジャパネット高田の高田社長はこう言った。

「なにも戦争なんてもしもを引き合いに出さなくても、今この日本でも同じことは起こっているんじゃないかと思うんです。福島の事故は、国民が一丸となって立ち向かうべき今なお続く日本の一大事です。なのに、私たちは、いま未だに収束しない福島原発の除染作業を、金にものを言わせて作業員に押しつけていることになりませんか」


この物語のあとも、あの増殖しかけたゴジラを凍結させ続けていくために、きっとこれからも被爆しながら凝固剤を注ぐ人たちがいるのだろう。

そしてそんな人々は、今、この日本にもいる。

この映画に、ヒーローはいなかった。

でも、国を見捨てず放射能に身を晒しながら踏ん張る人がいた。

きっとこの現実と同じように。

なのに、あれから五年が過ぎ、東京五輪の熱狂でかき消されそうな存在がいる。


そんな都合のいい、あるいは切り捨てが早いところも含めて、日本を見捨てず、私たちはやっていくしかない。

島国根性のしみついた日本人が、ユダヤの民やクルド人のように武器を持って土地を奪いにいけるともとても思われない。

そんな諦観めいた、でも一周回っていっそ前向きな決意を持たせてくれる映画だった。