世界のどこにいても、見つけだしたい誰か【君の名は。感想】

君の名は。」を見た。
 見終わった後に、無性にどこかにいる誰かを探しに行きたくなった。

 主人公、三葉と瀧の二人のなれそめは、ある日互いが入れ替わってしまったことによる。それからは週に2、3週という結構なハイペースで入れ替わりが起こる。スマホやノートや身体にメッセージを書き込み、行動に齟齬が起きないようやりとりをする。


 初見のとき、決して直接話すでも会うでもない二人が惹かれ合ったのかが腑に落ちなかった。しかし、文通(?)でのコミュニケーションとともに、自身の身体に残る三葉(瀧)の名残を感じたのかもしれない。考えてみれば、彼(彼女)が食べたモノ、したことが今日の自分の身体に反映されているというのは、とてつもない体験だ。
 

そんな二人の入れ替わりも、唐突に終わりを迎える。そして瀧は、ついに生身の三葉に会いに行く決心をする。
 

 そこで初めて立ちはだかるのは、時間と死という、乗り越えられない障壁の厚さだ。
 

 現代において、物理的な距離は問題にならない。ただ、この二つだけは未だに人間には克服できないし、してもいけないのかも知れない。
 ただこの物語でははじめから丹念に散りばめられていたSF的であり神話的でもある伏線によって、瀧と三葉はこれを超える。恋愛物としてこの作品は傑作だが、物語としてもよく出来ている。王子様のキスもヒーローもいない世界で、ただの高校生でしかない二人が互いと街を救うためだけに、傷つき、裏切られながら奔走する。だから、私たちはこんなにも感動するのかもしれない。
 

一目惚れの際よく、「前世で縁があったんだ」なんて表現が使われる。

それと同じように、「覚えていないいつかで、身体が入れ替わっていたのかも」なんて言葉がつかわれるようになるかも知れない。

 

映画館を出る時、「私もイケメンと入れ替わりたい!」と叫ぶ女子高生を見て、そう思った。