人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです  「沈黙」 遠藤周作

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

 

 この「沈黙」の要は、神やイエスの尊さでも、日本人が行った非道の暴露でもない。タイトルそのもの、すばり「神の沈黙」である。少なくとも私はそう思っている。
 

この「神の沈黙」に苦しんだことの無い人は、大分に恵まれた人だと言えるだろう。

卑近な例で言うと、特急列車に乗っている最中に腹を下したとき。入試や入社の最終試験の時。心うちですがるように「神様」と唱えたことは無いだろうか。
あるいはもっと切実に、病魔が自分や大切な人に襲いかかったとき。絶え間ない孤独に晒されているとき。虐待に遭う幼子の存在を知ったとき。

「神様助けてください」そう思わずにいられる人間がどれだけいるか。

 

そして、たいていその願いは空しく終わる。

死は必ず訪れるし、虐待された子は、人生の楽しみも悦びもろくに知らず殺される。

神は、こんな無力な私に、罪ひとつないあの子に、ついに手を差し伸べられなかった。
 
そんな私たちの、慟哭の代弁者が、主人公ロドリゴである。
 
物語は、敬虔な神父でありロドリゴの恩師であるフェレイラが、幕府の責め苦に耐えかねて背教した、という便りから始まる。
ロドリゴは、その真偽を確かめるため、また迫害にあえぐ日本人キリシタンのため、危険を省みず江戸初期の日本、長崎に渡る。

ロドリゴが村で会った日本人キリシタンは、貧困と重税、飢えに苦しみながらも隠れてキリスト教に救いを求めていた。彼らはロドリゴの到来に喜び、匿うがキチジローというかつてはキリシタンであった臆病な男によってまとめて役人に売り渡されてしまう。
多くのキリシタンを葬り、フェレイラを背教させた責め苦が、彼らにも行われる。
 
 作中で信徒が華々しくもなく、また救いも奇跡も復活も無く、拷問されてはあっけなく殺されていくのを見て、ロドリゴもやはり訴える。「主よ、あなたは今こそ沈黙を破るべきだ。もう黙っていてはいけぬ。あなたが正であり、善きもの、愛の存在であることを証明し、貴方が厳としていることを、この地上と人間たちに明示するためにも何かいわなくてはいけない」。

 

それでも、神は沈黙を保ち続ける。
 

 

結局、主人公は「自分の生涯でもっとも美しいと思ってきたもの、もっとも聖らかだと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたもの」の顔を踏みつける。
そこには救いも奇跡も復活も無い。ただ、淡々とした現実だけがあった。そしてその現実は、今この二十一世紀まで続いている。

 

遠藤周作文学館にある石碑には、こんな言葉が彫られている。
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

しかし、この期に及んでもロドリゴは神を失わない。
それは、新潮文庫版の表紙と、またラストの彼の独白に表れている。
 
この本は、私たちが思う神の輪郭その一線を描く手伝いをしてくれる。
あなたは自分がどんな神を中に持っているか、または持っていないか。

普段神についてなど考えないという大方の日本人にこそ、読んでもらいたい本だ。